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言葉と感情の一致! [ミュージカル]

さて、いよいよ第2弾です。

その前に、mixiに新しいコミュニティを作りました。タイトルは「ミュージカルを歌おう」で、URLはhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=3325008です。このブログと連携して、ミュージカルの歌い方や声の出し方を研究していきたいと思います。

おな、このブログは私の研究や整理のため、と言う部分も少々はありますが、主な目的は、ミュージカルを勉強している方、実際に出演している方、これから学ぼうと考えている方達に、新しい考え方や視点を提供するためのものです。ですので、できるだけ皆さんが知っている有名な曲をサンプルとして取り上げます。有名でなくても素晴らしい曲はたくさんあります。それらを取り上げるのは、またいずれかの機会にしたいと思います。

さて、第1弾は感情表現の技術的分析でした。私は何時も技術的な解説から入っていくのに、今回はちょっと別な角度から入ってみました。そこで、第2弾も感情について書いてみます。

 タイトルの通り、「歌詞のある歌」の感情は、全て歌詞(言葉)によって規定されていると考えています。ミュージカルの場合さらに複雑で、ストーリーや作品のテーマがその歌詞の意味する方向性を決定しています。

 例えば、「愛してる」と歌っても、ストーリーから見ると「かわいさ余って憎さ百倍」で、相手を殺したい、なんて言うこともあり得るわけです。これについては一般的な演劇のセリフと全く同じ考え方でよいと思います。

 ミュージカルの稽古をしているときに、特に強く感じる事があります。それは、タイトルと同じく、言葉と感情が一致しているのかな?と言う事です。

 いくつか例を挙げてみましょう。

 先ず、言葉が「合い言葉」のように使われて、意味を持たない場合です。例えば、「キャッツ」でグリザベラが2度歌う“メモリー”です。1コーラス目の(余談ながら、これは和製英語ですね、英語なら1st Chorus)あたま、『メーモリー』で始まります。私が今までこの歌を聞いた経験では、『メモリー』の部分が単なる合い言葉のように使われていて、心の動きを感じた事があまりありません。

 歌う側にとっては「英語」なので、言葉としてとらえにくいのです。原詩では、「Midnight」が当てられていて、「Memory」は2コーラス目の最初です。英語の1コーラス目を意訳するなら、『真夜中、路地裏から音が聞こえないほど、ひっそりと静まりかえっている。月は自分の過去をなくしてしまったかのように一人微笑んでいる。街灯の明かりの中、落ち葉がかき集められ、風はうなりをあげはじめた。』こんな感じですかね。

 日本語の歌詞はこれとかなり異なっています。そして、実は『メモリー』の一言で、一人微笑んでいる月がなくしてしまった(本当は忘れた事にしている)、「過去の記憶」を全部表現しようとしています。ちょっと欲張りですが、英語の詞を日本語に訳してメロディーに当てはめる(訳詞する)場合、平均的に1/3か1/4しか意味を盛り込む事ができません。何故かというと、「I」を日本語にすると「わたし」もしくは「わたくし」で、英語の1音節に対して、3~4倍の音節が必要です。「get」だともっと多くて「手に入れる」になってしまいます。そんな訳で、どうしても訳詞は意味を省略せざるを得ないのです。

 そこで、『メモリー』と歌っているときには、過ぎ去った出来事や思い出について、ハッキリと感じていなくてはなりません。できれば、走馬燈のように回想シーンが目に浮かんでほしいものです。また、多分辛く苦しかったであろう過去の経験を乗り越えた今、どんな感情が湧いてきているのか、それを思っていて欲しいのです。でも、ほとんどの人が最初の『メモリー』を単なる「合い言葉」にしてしまっています。

 同じような例が、「アニー」で最も有名な“Tomorrow”です。『朝がくれば、トゥモロー』『トゥモロー、トゥモロー、アイ ラブ ヤー トゥモロー、明日は幸せ』沢山出てきます。ここでも『Tomorrow』が曲の題名と同じである事から、単なる語呂合わせか、合い言葉のように使われがちです。しかし、『Tomorrow』には「明日」だけでなく、文語的な表現では「将来」「未来」と言った意味が含まれています。

 世界大恐慌に対して、打つ手がなく行き詰まった、大統領をはじめとするホワイトハウスのスタッフにアニーが「明るい未来」の事を考えよう、と励ますのです。孤児で、それまでの人生で幸せとは縁遠かったアニーが、エリート達に対して発する言葉だけに説得力があるのです。重さがあるのです。この言葉に励まされたルーズベルト大統領は「ニュー・ディール政策」を打ち出して、恐慌からの復興を始めるのです。(劇中では・・・)

 また、『I love Ya』の『Ya』は『You』スラングで、つまり『あなたを愛している』ですが、その『あなた』の中には「世界の全ての人々」や「輝く未来」も含まれているのかもしれません。そうであるなら、『Tomorrow』と歌っているとき、『I love Ya Tomorrow』と歌っているときに、未来に対しての希望、憧れ、敬意、強い意欲etc.と人々へのメッセージが含まれていなければならないはずです。残念ながら、今までそんな意味や感情のこもった“Tomorrow”を聞いた事がありません。

長くなりますが、前回も引用した「ライオン・キング」の“Shadow Land”です。タイトルには、単に「日陰になった土地」という意味だけでなく、「悪意や不幸に覆われた世界」と言う意味が含まれているのは明らかです。であるなら、『Shadow Land』と歌っているときに、痩せ衰えて不幸が蔓延している故郷の大地が脳裏にハッキリと浮かんでいなくてはならないはずです。『Shadow Land、木々は枯れ、荒れ果てたふるさと』の歌詞は『Shadow Land』の情景を説明しているので、『木々は枯れ』『荒れ果てたふるさと』を順番に感じているのではないのです。最初の『Shadow Land』ではすでに全ての情景が浮かんでいて、それを語って行かなくてはなりません。皆さんは最初にふるさとの光景が出てきていますか?それとも歌詞の順に出てきていますか?

 ちょっと話は脱線するかもしれませんが、ここで「思考」と「言葉」の順序について説明しておきましょう。例えば「今日はいい天気だったね~!」と言ったとしましょう。言った本人は、言ってから「あ~、今日はいい天気だったんだ」と思うでしょうか?・・・、そんなはずはありませんね。言う前に「いい天気」と言う経験したイメージが心に浮かんでいます。それから言葉を発します。つまり、言葉を発するときには、そのセンテンス全体がイメージされていて、それを言葉に置き換えていく作業をしているわけです。

 その考え方で歌を見ていくと、とてもおもしろい事に気がつきます。例えば、やはり「キャッツ」の中のナンバー“ガス(Gus:The Theatre Cat)”を見てみましょう。歌い出しは『ガスは落ちぶれた芝居猫、何時もたたずむ楽屋口』です。英語だと『Gus, is the Cat at the Theatre Door』で意味は単純に「ガスは楽屋口にいる猫です」ですね。行った事のある方はお分かりだと思いますが、イギリスやアメリカの古い劇場にある楽屋口は、古ぼけてくすんだ煉瓦造りの壁に、無愛想な鉄のドアがはめられていて、単に「Theatre Door」くらいしか書いてありません。日本のように洒落た楽屋口ではなく、エントランスがなくていきなり道路に面している事なんて当たり前です。そんな薄汚れた楽屋口の脇に、仲間と話をしたいのか、酒をおごって欲しいのか、老いさらばえて(老いてよぼよぼになった様)毛もぼさぼさになった猫がいる。それを思い出して、歌は始まるのです。ですから、『ガスは落ちぶれた』、あ~、落ちぶれているんだ、『芝居猫』あ~、芝居に関係がある猫なんだ、『何時もたたずむ楽屋口』あ~、楽屋口にいるんだ!、などと順番に感じているわけではないのです。歌い始める前には、これから語る内容を全て思い浮かべていなくては、思考と言葉の順番が異なってしまいます。皆さんは歌を歌うときに、この「思考と言葉の順番」の法則で感じていますか?
 かなり余談ですが、『Theatre』は英語で、我々が普段使う米語では『Theater』ですよね。ちょっと違和感はあるかもしれませんが、私は『Theatre』に古めかしい印象を持つので、かなり好きです。古い建物に「Centre」と表記してある事も多いですね。初めて見たときは意味が分かりませんでしたが、もちろん「Center」の事です。

さて、書き始めると止まらなくなってしまいます。

まだまだ話は続きます。次は、言葉と感情についてもう少し掘り下げていきます。

 前回も引用した2曲を使いましょう。最初は「レ・ミゼラブル」の“オン・マイ・オウン(On my Own)”です。この曲は本当に切ない曲ですね。泥棒の首領の娘で、多分これまで悪い事や汚い事をさんざんしてきたはずのエポニーヌが、恋する男の前で一人の純真な乙女になってしまいます。この直後に、政府軍の兵士に撃たれて死んでしまうので、この作品特有の「魂の浄化」を描いているのです。母親のファンテーヌも死ぬ直前に「魂の浄化」が起こり、ジャン・バルジャンに娘の事を託して死んでいきますね。でも、最後のシーンで母娘が二人揃って、ホワイトライトに照らされながらバルジャンを迎えに来ます。いい作品ですよね・・・。ちなみに、ブロードウェーで6回観ました。

 ストーリーについて書きたかったのではありません。大脱線です。この曲のバースが終わってリフレインに入るところ。日本語では『一人、でも二人だわ、いない人に抱かれて~』です。これ、意味が分かりますか?一人は二人じゃないし、いない人に抱かれるわけがない!って思いませんか?でも、これが訳詞の制約です。英語の原詩を見てみると『On my own, pretending he’s beside me. All alone I walk with him ‘til morning. 』簡単に訳すると、『私の心の中では、彼がいなくても、私と一緒にいると思っている。たった一人で彼と一緒に朝まで歩く。彼がいなくても、彼の腕に抱かれているのを感じる事ができる。~』云々。

 つまり、『一人、でも二人だわ』を歌うときには、『私の心の中では、彼がいなくても、私と一緒にいると思っている。』まで全てが思考として頭の中で完成されていなくてはならないのです。この曲はオーディションで何度も聞きましたが、これをきちんと感じている方には出会った事がありません。多分、ほとんどの方は何の疑問も持たずに、このフレーズを歌っているのでしょう。日本語として完結していなくても平気なんでしょうね・・・。しかし、そこで言いたいのは、歌う目的です。何のために歌っているか。答えは「伝達」です。お客様や共演者に、役として、また、一人の人間として、自分の考えや感情、そして作品の理念や意図を伝える事です。自分が理解していない、感じていない事を、お客様に「感じろ!」と言うのは極めて無理があります。ですから、お客様に伝わらない事を嘆く前に、自分が本当に理解しているか?本当に感じているかを検討してみる必要があります。

 同じような例で、やはり前回取り上げた「美女と野獣」の“Home”です。バースが終わってリフレインに入るところ、『冷たく、幸せにも捨てられ~』で始まります。これも日本語としてはかなり厳しい線です。ストーリーを考えると、本当は『冷たく寂しいこの牢屋の中で、私は幸せにさえ見放されてただ一人~』と言った意味でしょう。そうだと仮定するなら、前の例と同様に、『冷たく』を歌うときには『冷たく寂しいこの牢屋の中で』まで感じていなくてはいけない事になります。ちなみに、この曲は英語の原詩と訳が大きく異なっていますので、原詩を理解や感情を規定するための参考にしなくてはけないものの、直接当てはめて考えるのは難しいでしょう。であればなおさら、原詩の持つ意味をきちんと理解する事はもちろん、作品のストーリーから、その歌詞は何を言いたいのか考えていかなければなりません。当然、ベルの性格や生い立ち、現在の心境などの「サブテクスト」(台本には現れないバックグラウンドのストーリー)を確実なものにしなくてはなりません。残念ながら、この作業をきちんと行っている役者さんは、まだまだ少数派でしょう。しかし、この作業はお客様に「伝える」ために行わなくてはいけない俳優の義務だと思います。

 さて、もう少しお付き合い下さい。同じく“Home”で、『冷たく、幸せにも捨てられ』に続くのは、『夢と望み、今はなく』です。『冷たく、幸せにも捨てられ』では『冷たく』でブレスをしなくてはいけません。何故かというと、『冷たく』は『幸せ』にかかっている(形容)のではなく、『捨てられ』にかかっている訳でもありません。『冷たく』は、『冷たく寂しいこの牢屋の中で』を表しているので、ここで意味の切れ目が必要です。しかし、次の『夢と望み、今はなく』ですが、原詩では『Never dreamed that a home could be dark and cold』となり、『Never dreamed』で意味、音楽両面から切れ目があります。音楽は詞のリズムや強勢、意味に沿ってできているのでこの切れ目が一致するのは当然です。ところが、この切れ目を訳詞に適用すると、『夢と』で切る事になり(ブレスする)、結果的に『夢と、望み今はなく』と、本来並立すべき歌詞が切れてしまいます。ですから、「伝達性」を重視して考えれば『夢と望み、今はなく』とブレスを入れるべきです。次のフレーズは『幼い日々の我が家のあの喜び』で、音楽的には『幼い』で切れています。しかし、『幼い』は『日々』にかかっているので、絶対に切る事はできません。『幼い、日々の我が家のあの喜び』となると、『日々の我が家』ってなんだ~!となってしまいます。切るとしたら最良は『幼い日々の我が家の、あの喜び』ですが、意味のつながりと音楽性を両立させるとしたら、『幼い日々の、我が家のあの喜び』に落ち着くでしょう。

 また、この曲の中で転調後に出てくる『束の間さえ留まらず』のフレーズは、音楽的に見ると『束の、間さえ留まらず』と切れますが、これだと意味が通じないばかりでなく、『束野 正恵』と言う人の名前に聞こえてしょうがありません。『束の間さえ、留まらず』と切るか、あるいは我慢して最後までつなげるかの選択肢しかありません。

 ついでにもう一つ、この曲の最後、『我が家』で終わります。『わ』『が』『家』と、三つの音にそれぞれフェルマータがついて、音を長くのばすように指定されています。実際、ブロードウェー版のCDを聞くと、確かにかなり伸ばされています。しかし英語の歌詞では『home and free!』となっていて、一つずつを伸ばす、更に一つずつ切ったとしても、全く問題なく意味がつながります。ところが、日本語で『わ・が・家』と、一つずつ伸ばし、切れ目を入れると、意味が分からなくなってしまいます。聞いている内に何の言葉だか忘れてしまうのです。ですから、日本語として認識できる、単語として認識できる長さ、速さにする事が必要です。英語で歌う場合より、伸ばせる長さはずっと短くなるのです。

 さて、このように「ブレス」は息を吸う作業だけでなく、意味の切れ目を作る大切な働きがあります。にもかかわらず、言葉のかかり方や意味を無視してブレスする人が沢山います。さらには、単語の途中でブレスする人さえいます。これは、紛れもなく意味が分かっていない証拠です。どんなに感情を込めて歌ったよう見せかけても、言葉の意味が分からなければ感情が起こるはずがありませんので、あ~、この人はふりをしているんだな・・・、と思われてしまいます。

 このブログを読んでいる方は、きちんと検討してブレスをとっていますか?歌を歌う際に必要なのは、何度も繰り返しますが「伝わる」事なのです。そのためには「言葉」をきちんと理解する事です。その行為に裏付けられた「感情」を使わなくてはならないのです。

 長くなりましたが最後に大切な事を書きます。芝居やミュージカルは「虚構」のものです。つまり「嘘」です。しかし、演じている側も、観ている側もそれが真実になる瞬間があります。それは言葉や歌が、演技者の本心から発せられた深い感情になったときです。「まね」や「ふり」で他の人を心から感動させる事はできません。

 これまでに述べてきた事を行うのは、演技者の当然すべき努めです。しかし、これらをきちんと積み重ねる事によって、より深い感情と役や作品に対する共感が湧き起こります。そして、その感情がお客様にストレートに伝わって、客席と一体感を感じられる瞬間ができます。その時、演技者は大きな達成感と幸福を感じる事ができるのです。

 では、それをどうやったら実現できるのか、を次回以降書いていく事にしましょう。次は「呼吸」です。

 このブログを読んだ感想やご意見、ご質問をお寄せ下さい。このブログにコメントして下さっても結構ですし、mixiのコミュニティ「ミュージカルを歌おう」http://mixi.jp/view_community.pl?id=3325008にコメントして下さっても結構です。mixiのコミュニティにぜひ参加してください。マイミク申請も大歓迎です!!!


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古本汐里

米田さんのブログを購読するために、お気に入り登録しちゃいました!!
必読しますっっ!!
ちなみに今私の後ろでは「愛せぬならば」が流れてます・・・♪
美女と野獣はエンドレスです(>v<)
by 古本汐里 (2008-05-13 15:03) 

yoneyone

汐里さん

ありがとうございます!

やっと今日、第3弾を書きました。

これからもご愛読下さい~!
by yoneyone (2008-05-21 22:28) 

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